大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和34年(わ)2264号 判決 1964年5月29日

主文

被告人を懲役一年に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は関西大学専門部法律科を中途退学し、数年間新国劇の沢田正二郎一座に身を投じたこともあったが、戦前、戦後を通じ概ね「帝国新報」、「日本政治旬報」、「政治と産業」等旬刊もしくは月刊小新聞の編輯、発行の業務に従事してきたものであり(尤も、一時軍の嘱託として情報蒐集のことに従事したり、本籍地の村長を勤めたり、非鉄金属類のブローカーをしたこともあった)、昭和三〇年四月の東京都知事選挙に立候補して落選した元外務大臣有田八郎が来るべき昭和三四年四月の同選挙にも社会党総評などを背景として立候補するならばそのときは同人を絶対に当選させるべきではないという強い信念を懐いていたものである。それはそれとして被告人は前記小新聞の経営事業はあまり業績が挙らず、老来、生活の安定を念慮するところから、この際あまり固い内容のものでなくグット砕けた大衆うけのする著作の刊行を考えた末、女傑物語三部作なるものを構想するにいたり、その第一着手として本件「般若苑マダム物語」の著作の執筆発行を思い立ち、昭和三二年中から取材に着手し、昭和三三年初め頃原稿を執筆し、同年三月初旬有隣堂印刷株式会社に依頼し、いずれもかつて使用したことのない和田ゆたかというペンネームと、太陽出版社という発行所名義を用い、定価一部三〇円としてひとまず一〇万部の印刷を注文し(紙型は保存させた)、その頃印刷、製本を了してこれを東京都港区芝西久保町四七番地有限会社小泉運送店に移し、以来毎月五〇〇〇円の保管料を支払って保管させてきた(尤も、一時横浜市内の知人田島武雄方に保管替をしたことがある)。その間新聞号外の即売の総元締をしている山本藤四郎に頼んで売捌こうとしたこともあったのであるが種々の支障のためその試みは一時挫折していた。しかして右冊子の内容は、物語の女主人公有田輝井の生立ちや素行に関し、同女の社会的評価を著しく低下させるばかりでなく、引いて同女の夫有田八郎の声価にも悪影響を及ぼすていのものである(その詳細は右冊子の記載自体によって明らかであり、昭和三四年六月一一日付起訴状記載の公訴事実に摘記されているところであるから、ここにこれを引用する)。しかるところ、昭和三四年四月の東京都知事選挙が迫り選挙の告示日も近づいて有田八郎が再び社会党、総評を背景として立候補することが確実となるや、被告人は有田八郎の当選を阻止する意図のもとに昭和三四年三月一二日頃から同月一八日頃までの間前記有限会社小泉運送店内において、職安人夫鈴木いよほか数名の者を使ってかねて用意の読売年鑑および銀座年鑑の各人名録により、主として東京都内に存住する衆、参議院議員をはじめ、学者、教育家、銀行、会社、教会、出版社、各種商店、医師、芸能人等を選び、かねて用意の封筒に宛先を記入し、右冊子一冊づつを封入し、これにかねて用意の八円切手を貼付し、用意しておいた太陽出版社および「乞御批判」というゴム印を押捺したもの約二万部を東京中央郵便局より発送し、その頃各名宛人に送達させ(但し一部分返送されてきたものもある)、もって右冊子を無料で頒布するとともに、同月一二日頃より同月二五、六日頃までの間前記山本藤四郎を道じて新聞雑誌の即売業者である株式会社東京即売、同滝山会、同啓徳社および同東京春陽堂に計約一一九九〇部の販売方を依頼し同月二五、六日頃までの間にうち合計約四一八部を氏名不詳の通行人らに販売させて頒布し、もって公然事実を摘示して有田輝井の名誉を毀損したものである(なお、右即売業者らの手元にあった残部計一一五〇九部は右選挙期日が告示され有田八郎が正式届出をした同月二九日以前に警察によって売り止めの指示がありその頃全部回収されたほか、約六万部については被告人において同月中旬頃当時の被告人宅を訪問した氏名不詳者に対し計九五万円で一括売却しその場で右代金を受領し、現物は前記小泉運送店に連絡して右買主に引渡させた。またその残り約八〇〇〇部については被告人の指示により小泉運送店主において同月二八日頃坂田商店に屑として処分し、宣伝ビラ約七〇〇〇枚は焼却した。そして被告人自らは同月二七日頃関西方面にとう晦したのである)。

(証拠の標目)≪省略≫

次に、本件の問題点につき、簡単に説示する。

第一、有田輝井の名誉毀損の事実に関する弁護人の主張について

(一)  刑法二三〇条一項の名誉毀損の罪は親告罪である(同法二三二条)から、告訴期間すなわち被害者が犯人を知った日から六箇月を経過した後はこれをすることができない(刑訴二三五条)ものであるところ、右被害者が東京地方検察庁検事正に宛てて告訴状を提出した昭和三四年三月二七日(受理は同年四月一日)より六箇月以上をさかのぼる昭和三三年九月頃には、すでに犯人が被告人であることを知っていたのであるから、右告訴は不適法であり、従って本件公訴は公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき(刑訴三三八条)にあたり、棄却せられるべきであると主張する。

しかし、この点に関し全証拠を綜合して判断すると、被害者有田輝井は右告訴をした日の六個月以上以前においては、いわゆる怪文書なるものが自民党方面で相当数用意されているらしいこと、その内容は自己および夫有田八郎を誹謗する種類のものであることを知り、夫が来るべき東京都知事選挙に立候補する場合に及ぼす悪影響をおそれて著者の氏名および右怪文書の所在を探し求めていたけれども、未だこれらを覚知しえなかった事実が認められる。それゆえ右告訴は適法であり、従って右告訴が適法でないことを前提として本件公訴の無効を主張する弁護人の主張は採ることをえない。

(二)  次に弁護人は、右冊子に摘示された事実と類似する記事は、被告人がこれを頒布した当時すでに週刊紙等によって発表され一般に喧伝されていたところであって、いわば公知の事実となっていたのであるから、その後においてこれを公表したに過ぎない被告人の所為はもはや名誉毀損罪を構成しないと主張する。しかし、弁護人提出の週刊紙等の多くは本件冊子が頒布された後のものであり、本件冊子が頒布される以前のものも多くはむしろ、有田八郎の戦中戦後の政治的行動と政治的節操に対する批判、評論と目すべきもので、その表現の形式や内容において必ずしも公正な評論とはいい難い節も一部あるにはあるけれども、本冊子のごとく公然他人の私的事実を掲げて誹謗しているのとはその趣を異にしている。また、本冊子と類似するような事実の摘示を含むものでもその内容や表現の形式において本冊子のそれとは異なっておりこれを本冊子と同一に論ずるわけにはゆかない。そればかりでなく、本冊子によって摘示されている有田輝井の行動は、それがことの真実であると否とにかかわらず同女の社会的評価を著しく低下させるおそれのあることはその記載自体によって明らかであるから、たとえ類似の記事がすでに公表された後であっても重ねてそれが公表されることによって一層同女の社会的評価を低下させるおそれがあることは疑いをいれないところであって、弁護人主張事実のごときは本件被告人に対する名誉毀損罪の成立に消長を及ぼすものとはいえない。それゆえ、右主張もまた採るをえない。

なお、料亭の女将に過ぎない有田輝井の前記のような私的事実が公表されることは明らかに同女のプライバシーの侵害であり、これを公表することが公共を利する性質(公共性)をもっているとは、とうてい考えられない。また被害者が事前に右のような事実が公表されることを諒承していたということは証拠上全く存在しないところである。摘示されている事実の多くは、被告人が取材した素材によって推測したり、創作したり、或いは噂話に過ぎないものをまとめたりしたものであって、重要部分において客観的事実に合致していないと推測されうるばかりでなく、かりにそれがたまたま客観的真実に合致していたとしても、いわゆる「真実の大なるに従って誹謗もまた大である」という法諺の示すように、同被害者に対する名誉毀損罪の成立することにいささかの影響もないのである。なお、右冊子の内容がいわゆる公正な評論という類のものでないことは一見明瞭である。

(三)  弁護人は、右冊子において公表した事実は、新聞人である被告人が取材に際し十分調査を遂げ、それが真実なものであると信じて公表したのであるから、違法性の意識すなわち名誉毀損罪の犯意を欠く旨主張する。しかし、右は単なる法律の錯誤を主張するに過ぎないもので、固より名誉毀損罪の故意を阻却するものでないばかりでなく、単に料亭の女将に過ぎない有田輝井の私的事実でそれを公表すること自体、同女の社会的評価を低下させることの明らかなような事柄を、真実なるがゆえに公表しても許されると考えたというようなことは、被告人の学歴や永年の新聞人としての生活歴に照らしてとうてい信用しがたく、遁辞以外の何ものでもないといわざるをえない。右冊子の表現全体の趣旨を客観的にみれば、被告人は被害者有田輝井の社会的評価を低下させるであろうことを意識しながら敢えて右冊子を公表したものであることを容易に看取することができるのであって、このことは健全な良識をもつ何人もとうてい否定することができないところであろう。

第二、検察官の訴因罰条追加請求の部分を無罪とする理由

公職選挙法二二五条(選挙の自由妨害罪)は、選挙に関し左の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は云々と規定し、その範囲においてきわめて広く、罰則もまた同法二二一条の買収犯よりも重くなっている。そして各号を通読するに、一号は、選挙人、公職の候補者、公職の候補者となろうとする者、選挙運動者又は当選人に対し暴行若しくは威力を加え又はこれを拐引したとき、三号は、選挙人、公職の候補者、公職の候補者となろうとする者、選挙運動者若しくは当選人又はその関係ある社寺、学校……その他特殊の利害関係を利用してこれらのものを威迫したとき、二号は、交通若しくは集会の便を妨げ又は演説を妨害しその他偽計詐術等不正の方法をもって選挙の自由を妨害したときと各規定し、さらに同法二二六条は、職権濫用による選挙の自由妨害罪として、同条列挙のものが故意にその職務の執行を怠り又は正当な理由がなくして公職の候補者若しくは選挙運動者に追随し、その居宅若しくは選挙事務所に立ち入る等その職権を濫用して選挙の自由を妨害したときと規定する等、いずれも暴行、威力、拐引、威迫、交通もしくは集会妨害、演説妨害、職務懈怠、不法追随、不法立ち入り等直接的、事実的な侵害行為によって選挙の自由を妨害することをその構成要件としている。それゆえ二号後段に「その他偽計、詐術等不正の方法をもって云々」とある規定を解釈するにあたっても、右各条項並びに他の選挙罰則ことに本件が誹謗文書による選挙妨害である点に着目して同法二三五条二号等とも関連させてこれらと調和しうる範囲内にその処罰の限界を劃すべきものである。換言すれば、公職選挙法二二五条二号後段は「その他偽計、詐術等不正の方法」と規定し、広汎且つ曖昧な表現をとっているけれども、そこには自ら前掲各規定と調和しうる限度にその構成要件が劃されているというべきであり、これを検察官の主張するごとく公の秩序善良の風俗に反する方法の総てを含む趣旨に解するのは広きに失する。すなわち、右規定は、虚偽の伝達、他人に害悪を加えるごとき奸計術策たとえば詐術を用いて立候補を取り止めさせたり、何某は立候補を取り止めたといって選挙人を欺して別の候補者に投票させたり、選挙期日が延期されたとか、すでに投票時間を経過したなどと詐称して選挙人が投票所に行くのを止めさせるなど直接、事実的方法で選挙の自由を妨害する場合を指称するのであって、本件のように、文書により公職の候補者となろうとする者又はその家族に対し悪宣伝をすることによって選挙人の判断を誤らせようとするような場合をまで包含させるべきものではないと解するのが正当である。それゆえ本件被告人のごとくたとえ選挙妨害の意図をもってしたと認められる場合であっても、それが他の選挙罰則に触れる場合があるのは格別、同号にいう不正の方法をもって選挙の自由を妨害したときには該当しないものと解する次第である(なお、現行の同条同号には「又は文書図画を毀棄し」という文言が追加されているが、そのことは右解釈を補強することになりこそすれ、右結論を左右するものでなく、さらに古く明治三三年法律七三号衆議院議員選挙法八八条以来改正後の同法一一五条を経て現行の公職選挙法二二五条二号にいたる立法の変遷経過をみれば一層叙上の制限的解釈の妥当性が肯定できよう)。

なお、蛇足ながら、当裁判所が訴因変更を命じなかった理由について附言しておきたい。有田八郎の告訴代理人は本件が公職選挙法二三五条二号の罪にあたるものとして被告人を告訴したこと、検察官はこれを同法二二五条二号に当るものとして公訴を提起したものであることおよび昭和三四年四月二三日施行の東京都知事選挙の告示は、同年三月二九日行われ、有田八郎は即日立候補の届出をしたものであることは記録上明らかである。そして本件行為当時における同条同号は「当選を得させない目的をもって公職の候補者に関し虚偽の事項を公にしたとき」と規定されている(ちなみに現行法では「公職の候補者となろうとする者に関し」という文言が追加されている)。ここに公職の候補者というのも公職選挙法二二三条三項にいう「公職の候補者」に関するそれと同じく、正式の立候補届出または推薦届出により候補者としての地位を有するに至った者を指称し未だ正式の届出をしないいわゆる「立候補しようとする特定人」を包含しないものと解すべきところ、被告人の本件冊子の頒布行為は右告示以前に終了しそれ以後には及んでいないことはさきに認定したとおりである。それゆえ被告人の本件所為が同項中のその他の構成要件要素たとえば「公職の候補者に関する虚偽の事項を公にしたとき」にあたるか否かの論議に立ち入るまでもなく、すでに右の点において同号に該当しないものといわざるをえない。当裁判所が訴因変更を命じなかったのはそのゆえである。

よって検察官の右訴因は罪とならないが、右は前記名誉毀損の有罪部分と一所為数法の関係があるものとして公訴が提起されているので、特に主文において無罪の言渡をしない。

(被告人の犯情と法令の適用)

検察官は本冊子はすでに昭和三三年三月中に印刷を了しながらことさらにこれを蔵置し一年を経て東京都知事選挙の告示が近接するや有田八郎の当選を阻止するため昭和三四年三月中旬以降に発売し、或いは無料郵送したものであると主張するのに対し、被告人および弁護人は女傑物語三部作の手初めとして選挙に関係なく印刷発行し直ちに発売しようと試みたけれども種々の事情でやむをえず遷延していたところその頃有田輝井のことが週刊紙等にとりあげられるようになり、時期やよしとみて発売に踏みきったのである、また二万部を無料郵送したのは太陽出版社なるものの宣伝と続いて刊行予定の他の女傑物語の宣伝をもかねたのであって東京都知事選挙とは全く関係がない旨陳弁する。この点につき当裁判所としては被告人が取材、執筆、印刷をする当初から、もっぱら有田八郎の当選を阻止するために目論んだものとまでは証拠上認め難い。和田ゆたかというペンネームを用い太陽出版社という仮空同様の発行所名を使用し有隣堂印刷株式会社の名を伏せてしまったのも本冊子の内容が低俗なこと(これよりさき被告人が編者としてその実名で出版した「スイス国民の偉大な精神に学ぼう」という冊子の内容と対比せよ)から実名を出すことをはばかったと考えられないわけではない。しかし被告人のいう前記経済目的と選挙妨害目的とは事柄の性質上必ずしも相容れないものでないばかりでなく、印刷当初における動機目的はいかにもあれ、少くとも被告人が本冊子を頒布する段階に立ちいたれば、もはやこれをしも東京都知事選挙とは無関係だとはいえないのであって、この点に関する被告人の陳弁はとうてい信用できない。現に被告人は昭和三四年一月末頃本冊子の表紙を書いた新庄修方を訪ねた際同人から本を出す前に一度有田さんにでもお断りしてもらいたいといわれ、これに対し被告人は自分が直接有田さんに会えば恐喝になるおそれがあると答えている事実があること。また証人富山嘉一郎の供述記載によると、被告人は昭和三四年三月上旬頃にいたって一年振りに再度来訪し「私記」を書くようにすすめた経緯がありその際被告人は「あなた都知事に立候補したらどうか、おもしろいことができるぞ」と冗談まがいにいったことがあるという事実(なお証人山本藤四郎の供述参照)、名も告げない訪問者と東京都知事選挙に関する話しをした後本冊子約六万部を九五万円で急遽売却した事実等を併せ考えると、被告人の右弁解は単に弁解のための弁解に過ぎないことが明らかである。

なお、被告人がいうように本冊子の印刷、発行は生活の安定という経済目的に出たものとすれば、印刷費八五万円、封筒代二万枚として九〇〇〇円、八円切手二万枚として一六万円、保管料等三万八七〇〇円、富山嘉一郎に支払った「私記」の原稿料の一部五万円、職安人夫七人に対する一週間分の賃金、その他被告人が取材、執筆に要した期間中の生活費、交通費、宿泊費等を概算しそれから前記九五万円の売却代金を控除しても多額の出血となり、とうてい収支償うところではないこと等の事情を勘案すると、この事件の背景には、被告人をピエロとしてそのタクトに踊らせている何者かの存在を想わせる蔭影があり、東京都知事選挙にまつわる黒い霧を想像させるものがある。

次に本件審理の経過を顧みるに、本訴は昭和三四年六月一一日起訴され、次いで同年七月一日訴因罰条の追加請求があり、同月二七日の第一回公判以来昭和三六年五月六日の第一四回公判期日まで審理が延々と続けられた後同年六月二九日の第一五回公判期日以降は被告人の病気のため審理は中断し再開されたのは昭和三八年一一月一六日に至ってからである。その間、四年後の昭和三八年度東京都知事選挙も行われ、裁判官も更迭した。まことに遅延した裁判は裁判の拒否に等しいとは至言である。この事件を回願してみて、検察官は問題の取り上げ方において、弁護人は真に争うべき争点の検討において、裁判所は審理の限界と問題の把握においていずれも粗漏がなかったといえるであろうか。互に熟慮反省するところがなければならないと思う。そしてもしこの事件が迅速適正に処理されていたとすれば、昭和三八年度の東京都知事選挙において発生をみた幾多の不祥事件は事前の立法措置により或いは実際取締りの運用によってある程度防止できたであろうことを想うとき、法曹一体となって迅速かつ適正な裁判の実現に努力することにより社会への警世と指針とを明らかにすることがいかに肝要であるかを痛感する。さもなければ、司法は社会から遊離しわが国民主政治はいよいよ低調となるであろう。一国の政治文化の高さの度合いは、その国において司法の役割がどれだけ高く評価されているかによって計られることを思うべきである。

多数決原理が支配する民主政治の下において個人の名誉が尊重され、選挙の公正が担保されることは民主政治の要蹄である。言論の自由が憲法上の保障にまで高められている現在、公正にして建設的な評論は大いに暢達せられなければならないとはいえ、本件被告人のごとく自己と政治上の主義信条を異にする候補者となろうとする者の妻を誹謗することによって選挙妨害を企てるというがごときは、きわめて遺憾な行為であるといわなければならない。

被告人の判示所為は刑法二三〇条一項罰金等臨時措置法二条三条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択しその刑期範囲内で被告人を懲役一年に処するわけであるが、被告人は当年六七歳の現在まで約三〇数年以前に傷害の罰金および懲役一年、三年間執行猶予の前科があるほかその他に前歴なく、すでに老境に入り病弱の身であること、本件についても反省の色がみられないわけではなく、もはや再犯のおそれもないと認められること等を考量するならば、これに実刑を科するよりはむしろ刑の執行を猶予し反省と自戒の期間をもたせることが相当であると認め、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑訴一八一条一項本文により全部被告人に負担させる。

よって主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例